[04年以前]宿題

 最近の小学校って、夏休みの宿題をあまり出さないのね。小学3年生の夏休みの宿題を見せてもらったんだけど……30ページ程度しかない薄っぺらい教材。各ページには、漢字クイズや計算クイズなどがあって、1ページ10問程度。聞けば、宿題はこれと絵日記だけらしい。少なっ!
 私が小学生の頃は、『夏休みの友』(トモと書いてテキと読む?)+漢字ドリル+計算ドリル+作文+読書感想文+絵日記+自由研究って感じだったのだが。明らかに通常時より勉強量が多く、「夏休みなんかなくして普通に学校に行ったほうがマシだー」とよく親に漏らしていた。当時の私が現在の夏休みの宿題をやれば、それこそ7月中に終わらせてしまえそうであるが、考えてみれば量が少ないと余裕ぶっこいてつい後回しにしてしまうので、あまり変わらないような気がしなくもない。が、やはり最近の小学生はうらやましいのであった。
 昨今の『ゆとり教育』に対する批判は厳しいが、夏休みの宿題に関してはこれでいいのではないかと私は思う。宿題はせいぜい頭の体操ができる程度の量があれば十分だ。勉強させたいのであれば、夏休みなんかなくして毎日学校に行かせればいいじゃないか(実際にそうしている学校もあるらしい)。長期休暇中まで勉強に追われているのでは、何のための夏休みかわからない。
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[04年以前]良い・悪い・好き・嫌い

 支持する人より批判する人のほうが頭がいい、みたいな風潮があるんだよね。「○○イイ!」と言う人に対して「えー、あんなののどこがイイの? 馬鹿じゃない?」という返しはよくあるが、「○○はダメだ」と言う人に対して「○○の良さがわからないなんて馬鹿じゃない?」という返しはあまりない。あったとしても、後者の場合すぐに言い返される。「あんなのがイイなんて。馬鹿なのはアンタの方だよ」と。
 どうもね、あるものを良いと思うのは馬鹿だからで、駄目だと思うのは頭がいいから、っていう雰囲気があるのね。考えてみればこれほど理不尽な話もないんだけど、案外こういう考え方が普通に世の中に通っている。
『良い』『駄目』は、結局のところ『好き』『嫌い』という主観に過ぎない場合が多いんだけど、なぜか主観的評価が客観的評価にすりかえられやすい。「○○を良いと言う人は馬鹿だ、なぜなら○○は駄目だからだ」という論理展開がよくあるが、なぜ駄目だと思うのか理由をよくよく聞いてみれば、「嫌い」ってところに行き着くケースが非常に多い。要するにアンタの好みを押し付けてるだけじゃん。ところが、人の意見に流されやすい人はあっさりこれを受け入れてしまい、以後「○○が良い」なんて言わなく(言えなく)なる。
 ネット上で支持する意見より批判する意見のほうが多く見られるのは、支持する意見は馬鹿にされやすいからなんじゃないかと思う。「程度の低い人間は程度の低い物を支持する」と信じて疑わない人の多いこと。そして「程度の低い物を批判する人は程度が高い」さらに「程度の高い物を批判する人はもっと程度が高い」と思っている人も少なくない。その程度の高低という判断がどこから来てるのか謎なんだけども。単なる好き嫌いの問題と違うの?

 こんな世の中で「○○はイイよ!」と言うのは、結構勇気の要ることだ。だから私は極力「良い」という客観的に見える表現は避け、「好き」と言うようにしている。これならツッコまれても「個人的に好きだと思ってるだけだよ」と言い訳できるから。その言い訳を認めない人もいるけどね。自分の嫌いな物を好きな人が存在することが許せないらしい。その気持ちはわかるんだけどさ。
 でもねー。どうせなら、嫌いな物よりも好きな物をいっぱい紹介したいね。
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[04年以前]東京はナンバー1にもワースト1にもなりやすい

 自殺者数が過去最高なんだとか。この場合「最高」って言葉はあまり適切じゃない気がするが別に喜んでるわけじゃないんでよろしく。
 まぁそのことについては特に言うことはないのですが(ないんかい)、それよりも気になったのが都道府県別自殺者数。東京1位、大阪2位、北海道3位。ぶっちゃけこれ意味なくない? 単に人口の問題だと思うんだけど。単純に人口順になっているわけではないが、田舎で畑いじりしながらのんびり余生を過ごしているおじいちゃんおばあちゃんが自殺するとはやはり考えにくいわけで。人口と住人の性質を考えると、東京大阪が上位に来るのは必然じゃないのかなぁ。このランキング化は無駄に都会のイメージを悪くしているだけで、それ以上の意味はないと思う。
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[04年以前]カバー

 最近カバー曲がやたら多いのですが、私はそのこと自体を嘆くつもりも責めるつもりもありません。人間の耳に心地よい音の組み合わせはある程度決まっているし、音楽の歴史は人類が始まったときから続いているんですから、後になればなるほど新曲が作りにくくなるのは仕方ないのです。しかも最近は著作権だのパクリだのが注目されているから、下手に他の曲に似たものを作ると噛み付かれかねない。かと言って、全く新しい曲を作ろうと思えば、既存のパターンから外れないといけない。無理して外した結果「不快な曲」になってしまうことも多い。実際、最近の新ジャンルってちっとも定着しないですよね。
 だったら、過去の「名曲」を許可を取って編曲して歌い直した方が、圧倒的にラク。一度売れている曲だから人気は保証済み、ゼロから曲を作る手間も省けて一石二鳥。
 ただし、手を抜くとモロにバレてしまいますね。すでにオリジナルがあるから。編曲者と歌い手の技量が試されます。オリジナルはカバーされるほどの名曲なんだから、カバーする方も覚悟を決めてやらないと。ただ歌えばいいってもんじゃない。オリジナルの劣化コピーばかり作ってると「これだからカバーはダメなんだよ、プッ」と言われちゃいますよ。海外CDの輸入禁止とかやってる場合じゃないですよ、ホントに。
 あ、ダメだという自覚があるから輸入禁止するのか。
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[04年以前]確かに被害者意識は好きではないが

 社会を騒がす事件が起きるたびに思うのだが、加害者の人権は保護されても、被害者の人権はほとんど無視されてるよなー。
 加害者に優しいっていうのは確かにあるけど、それよりも被害者に厳しすぎる。被害者は顔も名前もマスコミに大々的に晒された上、プライベートを何から何まで穿り返されるんだからたまらないだろう。しかもすぐ「被害者にも非がある」的な意見が出るし。立場ないよ。
 事件の発生は第三者にとって全く無関係なものではないので、ある程度被害者の意思が無視されることは仕方がないと思う。いくら被害者が「ほっといてくれ」と言っても、誰もが被害者になり得る以上放ってはおけない。事件の原因を究明し、再発防止をすることは必要だし、そのために被害者に苦痛を強いることもあるだろう。それは仕方ない。
 だけど、今のマスコミは、いくらなんでもやりすぎだ。加害者をつつけないから代わりに被害者をつついてるんじゃないかとさえ思える。もっと被害者や遺族に配慮すべきだと思うのだが……。
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[04年以前]「自己責任」と簡単に言うけれど

 自己責任は当たり前。自己責任だけじゃどうにもならないから、今回これだけの問題になっているわけでしょ。
 イラクに行った人たちは、最初から最後まで自己責任で行動していたはずである。少なくとも本人はそのつもりだったはずだ。しかし、いくら「自分のことは構わなくていい」と言っても、政府はそういうわけにはいかないのである。邦人保護は日本政府の義務。本人が望まなくても、保護をしなければならないのが政府なのだ。外国に行った日本人は、「個人」である以前に「日本人」として見られる。それはもはや自己責任の及ぶ範囲ではない。日本人である以上、日本に対する外交あるいは交渉の手段として利用される可能性は決してなくならないのであり、それが嫌なら国籍をイラクに移すしかない。
 人質にされていた3人の日本人は、自分の正義を貫くためにイラクで活動していた。自分たちの活動は正しいものだ、少なくとも悪いことではなかったはずだ。他の奴らがやりたがらないことを、己を犠牲にしてまでもやっていたのである。何事もなければ賞賛を受けていてもおかしくなかった。なのになぜ、運悪く被害者になった途端、口ばっかりで行動しない奴らから、こうまで非難されなければならなくなったのか。答えは簡単、彼らが「日本人」だったからである。こればっかりは、自己責任ではどうにもならない。

 自己責任が必要なのは言うまでもないが、それを政府が主張するのはおかしい。政府は、彼らが日本人であってもらっては困ると言っているのだ。しかし彼らが日本人であることを変えることはできない。つまり「存在自体が迷惑」ということになる。こういう人間にいてもらっては困るが、死なれちゃもっと困るからな。
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[04年以前]ストレスについて語ってみる

 ユーウツを克服するには、ユーウツの原因を取り除かなければなりません。気晴らしも必要だけど、それだけでは根本的な解決にはならない。ただ問題なのは、原因を取り除く作業をしたくないということでして。努力なんか大っ嫌いですが何か。
 ただまぁ、原因がはっきりしていれば、解決法もあるってわけで。中には原因のないユーウツに苦しんでいる人もいるのだろうと思うのです。そういうのはユーウツではなく鬱病というのでしょうが。最近私の周りで鬱病の人が増えていて、なんだかこっちまでうむむーな気分になっちゃいます(別にその人が悪いわけじゃないんだけども)。

 現代人はストレスまみれで全く大変です。人間やるのも楽じゃないんスよね。当然、ストレスは現代だけのものではなく、昔からあったはずです。むしろ昔のほうが、生きることそのものに関わる競争は激しかっただろうと思います。ウチの親が生きた時代は、弱肉強食、死ぬ奴は死ぬって世の中だったらしい。そんな世の中だったら、軟弱者の私は生きちゃいないと思いますですよ。でも、現代のストレスはこう……なんと言うか、生物として不自然な感じがするんですよねぇ。今と昔、どっちが幸せかなんて私には知り得ませんけどね。
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