他人の書いた記事を全文転載して自分の記事としているブログは、多く存在しています。
驚いたことに、Yahoo!ブログには、他人の書いた記事をまるごと転載して自分のブログの記事にしてしまう「
転載機能」があるんだそうですね。ごく最近まで知りませんでした。そもそもYahoo!ブログに興味なかったし。
まさか「全文転載」が当たり前の世の中になるとはね。
今更、全文転載で著作権が云々などとは言いません。
ただ単純に、それってすっごく無駄なんじゃないの? と思う。
というわけで、本記事の以下の内容は、「著作権」を度外視して書かれていますのでご了承ください。法的に正しい/誤っているといった視点は一切抜きで。
同一の記事をむやみに増殖させることに意義はあるのでしょうか?
すでにWWW上に、誰もが閲覧できる状態で置かれている記事なのですよ。わざわざ転載する必要ないじゃないですか。リンクで場所だけ示しておけば十分でしょ。
キャッシュだかミラーだかを作る意図があるのならば、話は別ですが。どうも、そのような意図がないのに転載されているケースが多いように見えます。
他人の成果をパクって自分のものにしちゃっているのとも、どうやら違うようですしねぇ。転載元が明記されていたり。元記事へのリンクがあったりもするし。
「読者さんがわざわざ元記事を見に行くのは面倒だろうから、ウチで全部見せてあげるよ♪」ということでしょうか。しかし、読者が元記事を読む必要があると自分で判断したなら、リンクワンクリック程度の手間を惜しみはしないでしょう。逆に、そんな手間を惜しむような読者は、元記事を読む必要性を感じていないということになります。よって、リンクだけあればOK。わざわざ転載までしてあげる必要はありません。
って言うか、全文転載ならリンクで元記事参照させる必要ないし
それとも、私が知らないだけで、何か別の意味でもあるんでしょうか?
もしそうだったらごめんなさい。無知なワタクシにその意味を教えてくださいませ。
私は、Web上に同じ記事が複数存在する必要はない、と思うわけですよ。
間違えないでほしいポイントが一つ。「同じような内容の記事は複数要らない」ではないのです。別の人がそれぞれ独立して書いた記事が偶然同じような内容になってしまったとして、それはそれぞれ別の記事なのだからいいのです。偶然に偶然を重ねて一字一句違わないものができてしまったとしても(ありえないけど)、それは別の人が書いた別の記事です。
私が言いたいのは、「同じような」じゃなくて「同じ」ね。同じ人が書いた同じ記事が、あっちにもこっちにも存在している意味が、どこにあるというのでしょうか。
また、丸写しでなければ、元の文章をコピーして載っけることが価値を持つ場合もあります。
部分的に抜粋したりとかね。でもってそこに自分の意見や感想を差し挟んだりね。ってそれ転載じゃなくて引用だけどね。
そうなってくると、引用を行ったこと自体がその記事の価値と言いますか……「どこを引用したか」に引用を行った人のオリジナリティが表れるわけですよ。もちろん自分で書いた部分は言うまでもありません。
それはもう全く別の新しい記事ですし、元記事と新しい記事と両方読むことにも意味が出てくるし。どちらの記事にもそれぞれの価値があって、大変よろしいことだと思います。
でも、全文転載って、そういう付加価値みたいなものは全く生み出さない行為ですよね。だって転載元の記事と転載記事、両方読んでも意味ないもん。
なぜ「全文転載」などという無駄なことをするのか、私には理解不能だわ……
Yahoo!に至っては、公式にこんな無駄機能を搭載して、何がしたいんだか。わざわざ自サーバーに負荷をかけてまでWWWに無駄記事を氾濫させて楽しいの?
検索結果をYahoo!ブログの同一記事で埋め尽くして、WWWの世界にはYahoo!ブログしか存在していないように見せかけたいとか。(って、冗談で言ってみたけど、結構ありそうな気がしてきた)