<< 2006年賀正 | main | [どう森DS]改めて、明けまして >>

スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

| - | | - | - |

殺人の定義(古畑任三郎)

(1/3放送の『古畑任三郎』の感想です。録画等をまだ見ていない人は読まない方がいいと思います。
 また、ドラマを見ていない人には何のこっちゃわからない記事であること請け合い)
 昨日の古畑、ラストおかしいと思う。
「犯人は数字を書き換えただけ。これでは犯罪は成立しない」そんなことないです。
 数字を書き換えるのが犯罪じゃないなら姉歯は(ry
 ……ま、これは冗談ですが(シャレになんねぇ)

 被害者の性格を熟知し、「こうすれば被害者はこう行動する」というところまで読んで、死ぬように誘導する。
 犯人は殺意を持って行動し、その行動の結果、犯人の意図した通りに目標が死亡した。
 これは立派な殺人でしょう。

 被害者に直接トドメを刺さなくても、殺人が成立することに異論はないと思います。事故を誘発するのも殺人です。

 たとえば、
「被害者がその車に乗ることを予測して、車のブレーキオイルを抜いておく」
 これは誰がどう考えても殺人ですね。
「被害者が屋上の手すりに寄りかかるのを予測して、手すりを壊れやすく細工しておく」
 これも殺人です。

 では、
「被害者が特定の資料に基づいて行動することを予測して、その資料に手を加える」
 これは殺人じゃない?

 違うのならば、その差はどこにあるんですか?

 数字を書き換えただけじゃ罪にならない? そんなはずない。それによって人が死ぬことを明確に意図して書き換えたんですよ。
 殺意を持って他人を死に誘導する行為、これが殺人だと認められないなんてあり得ないしあってはならない。仮に世間が許したとしても私が許さん。

 っつーわけで、脚本家出て来い。
| 日記 | 10:07 | comments(0) | trackbacks(1) |

スポンサーサイト

| - | 10:07 | - | - |

コメント

コメントする










※半角英数のみのコメントは拒否されます。
※emailは無記入推奨。

トラックバック

古畑任三郎ファイナル:第1夜(今、甦る死)

↑拙作です↑1. 古畑任三郎ファイナル:第1夜(今、甦る死) 10年くらい前に田村正和が主演してヒットした刑事ドラマ(内容的にはアメリカの刑事ドラマ「コロンボ」のコピー)が新たに3夜連続放送されることに。 豪華なゲストがヒットの要因。今回も石坂浩二や藤原竜
| メフィスト賞受賞者津村巧のテレビ・世相日記 | 2006/01/04 20:17 |

この記事のトラックバックURL

トラックバック機能は終了しました。

※言及リンク必須。
 記事へのリンクのないトラックバックは受け付けません。